夜灯 小説 Novel
シャドーブラッド

BLメイン、ダークファンタジー・シリアス・R18作品があります。


残虐描写あり 流血表現あり 軽微な性描写あり

シャドーブラッド


黒き荊の檻prologue

人間嫌いな特殊捜査員の吸血鬼×崖っぷちな搾取される贄刑事  捜査協力の対価は、血液の供給。この男の不可思議な魅力に当てられ、刑事は次第に、彼に全てを捧げていくのだが。 →完全版「黒き荊の檻」R18を読む
【prologueを読む】  胸のつかえが少しだけ取れる。鬱蒼とした森の中を歩かされたときは、魔女の家にでも辿り着いてしまうのではと、心臓が縮み上がっていたのだが。  血の涙で憂う瞳から目が離せない。そいつの目を見てはいけないと言われていたのに。 「いらっしゃい」  手招かれるままに、俺の足はそちらへ吸い寄せられる。診察台の上に座るように導かれて、押し倒された。  吐息が首筋にかかって心臓が跳ね上がる。  お願い、それが欲しい。  たまらなくなってしまう。  その牙が沈められたとき、恍惚が脳髄を突き抜けて、全身が弛緩した。  ダメなのに、欲しい。もっと奥まで暴いて欲しくて、彼の背中にすがりついてねだった。 「おい」  いつだって、誰かの罵声が、俺の膨らんだ思考を叩き割る。聞き間違いでない。そう呼ばれるのはこの課では俺以外にいない。 「この場所に行って捜査協力を仰いでこい。資料はこれだ」  夢の一課に配属が決まってよろこんだのもつかの間、末席の烙印を押された俺はすぐに、奴隷としてこき使われはじめた。囮として使われ、重傷を負ったことも数知れず。  だから目覚めたとき、また病院に運ばれたのだと思った。消毒臭にしては甘ったるい、チョコレートに似た香りが鼻をくすぐる。 「目が覚めたか」  椅子から立ち上がった男は診察台の俺を見下ろす。彼は俺を見ているはずなのに、彼と目が合わなかった。 「なぜ、俺の目を見た?」 「目を見て話すのは基本……」  そういうマナーの話ではない。目を合わせるなと資料には書かれていた。それでも、俺は見てしまった。 「対価はもらった。返事はそこに」  腹の上に資料がぱらりと落とされた。こんなに薄い紙切れ一枚に、上司の求めたものが記されているというのだろうか。 「もっと情報が欲しいなら、それなりの代償を支払ってもらわないと」 「は、払う! だから、完璧な資料が欲しい。頼む」  完璧でないものは意味がない。すがるような懇願に、男は愉快げに喉を鳴らした。 「俺は楠城くすのき 七星しちせい。君は?」  名前なんて聞かれたのは久しぶりだった。自分が何者なのか、長らく忘れていた。  捜査一課の奴隷係を誰も名前でなんて呼ばなかったから、自分のことを語ろうとすると舌がもつれた。 「おれ、は……篠垣ささがき 泰生たいき」 「では、タイキ。先に報酬をもらおう。心配するな。君が眠っている間に、資料は仕上がる」  楠城くすのきの赤い目が俺の視線と合わさる。彼の口から細い牙が見えた。恐怖を感じる間もなく、首元に噛みつかれていた。  俺の穢れた血がすへて吸い尽くされていく感覚。彼の喉から、全身に行き渡り、糧となる。ゴミ扱いされる俺でも、誰かの役に立っているという心地がして、たまらなく気持ちがよかった。  抑えられないあられもない声も、恥ずかしいとは思わない。終いには脱力しきってしまい、我慢ができず、○ッてしまう。  頭が急にグンと重くなり、そのまま意識が沈んでいった。 「さあ、君はどこまで、正気でいられるか、楽しみだ」  誰かが何かを言った。放たれた言葉の意味は、酩酊したこの頭ではもう理解できなかった。ただ、俺を見下ろすその瞳が、ひどく心を捉えて離さない感覚だけ覚えて、夢に落ちていった。

メロウトワイライトprologue

主人もんぺ傷心の吸血鬼執事×親譲りの無邪気さを振りまく実は策士な主人 名づけ親の主にさえも、心を開かなかった傷心の吸血鬼は、忘れ形見の少年と過ごす日々の中で、心を通わせていくが── →完全版「メロウトワイライト」を読む
【prologueを読む】  春弥はるや様の朝は慌ただしい。私は眠ることのできない人外の身であるため、春弥はるや様のお休みの間にすべての支度をあらかじめ整えておくのだが。  ベッドの隣に失礼しながら、春弥はるや様が寝入ってしまうまで見守り、春弥はるや様が目を覚ますときにはおそばに控えていなければならない。さもなくば、この広い屋敷中を駆け回って、私の姿を探しに行ってしまうのだ。  布団の中で春弥はるや様が動く。ピョコンっと顔が飛び出し、パチリと目が開いた。まぶたをとろんとさせており、眠たそうではあるが、まぶたを懸命に押し上げている。  つぶらな瞳がこちらをじっと見つめていた。 「ナギだぁ、ふぁああ」  背伸びをして目覚められる。幼い主はいつも二度寝はしなかった。朝から興味津々のご様子で飛び起きて、バタバタと足音を立てながら、必死に私について回る。遊びたい盛りといったご様子である。  まずはお召し物を替えて差し上げようと、ひと声かけてから失礼しようとすると、本日は珍しく渋られた。代わりに、ボタンをご自分で外しはじめられるが、最後の一つがなかなか外せないご様子だった。 「これだけとれない……」  空調や室温などは人間である春弥はるや様に合わせて適温に保つようにしている。だが、衣類に包まれていない、小さなお体を外気にさらし続けるのは大変よろしくない。  熱心にボタンを外しにかかられ、気がそぞろで肩がはだけて、衣類が腕のところまで落ちてしまっている。いつまでもその半脱ぎの下着姿のままでは、お体に差し障ると思い、つい手が伸びた。 「こちらはまた練習しましょう」  春弥はるや様の小さな指の上から、固く留まっていたボタンを一緒に外す。しばらくの間、指をぎゅっと握り返されており、どうしたものかと困惑していたが、突然パッと指が解放される。春弥はるや様は飛び上がって、シャツを脱ぎ捨てた。 「やったぁ! ありがとう、ナギ。だいすき!」  よろこび跳ねる主がバンザイをした瞬間に、ワンピースを被せて着せる。回りながら、ふわりと広がる裾を楽しそうに目で追っていた。  袖がノースリーブであるため、カーディガンを差し出すと、春弥はるや様はするりと腕を通される。  スヤスヤと眠っていた天使は、舞い降りて、小さな花嫁のようなお姿になった。 「ナギ、どう?」 「よくお似合いですよ」  ふさわしい以外の言葉が出てくることはない。主は何をお召しになっても、美しく可憐だった。  春弥はるや様の父君が生前、縫われた衣類はどれも少女様であったが、華奢で肌の色が白い春弥はるや様を引き立てるにぴったりの代物ばかりである。 「ナギのご飯おいしい!」  お褒めにあずかり、思わずほころびそうになる表情を引き締める。春弥はるや様に悟られないように、極力牙を出さないよう、表情に気をつけているからだ。マスクなど身につけて口元を覆ってしまえばいいのだが、そのような服装は、主に対して無礼というものだ。  よろこんで食事をお召しになる姿がとても愛らしい。  私はというと、何も食べないことを変に思われないよう、濃いめに淹れたコーヒーだけを口にしている。  穏やかで心が安らぐひとときだ。血を飲まなくても、日の当たらないこの屋敷の中にいれば、飢えることも必要以上に消耗することもない。春弥はるや様のため、食材を調達しに外へ出るのは日が落ちてからでいいからだ。  春弥はるや様には申し訳ないが、遊びに付き合うことができるのは、このお屋敷の中だけだ。絶対に外に出てはいけないと言いつけてある。日中は私のそばから離れることがなければ、春弥はるや様はそう遠くには行かないので、安心できる。  ただ、もう少し成長されたら、外の世界も教えて差し上げなければならない。本来なら、幼少期から陽の光を浴びせなくてはならないのだが。  前主人──黒桐屋こくとうや治秋はるあき様は、『吸血鬼は血を定期的に摂取すれば、太陽に当たっても、苦しむことはない』のだとおっしゃっていた。私はついぞ実践せぬまま、与えられるままにどこぞで仕入れたのやら分からぬ血を飢えるすんでのところで飲むを繰り返し、このお屋敷の一番暗い部屋で無気力にさいなまれ、無為に時を過ごしただけだった。  血は与えられるだけで、自分から進んで口にしたことがないため、どうやって調達すればいいのか分からない。血さえ飲めば、春弥はるや様を陽の昇るお外に連れ出せる。私の思いは揺れた。  春弥はるや様が遊び疲れて、いつもより早くお眠りになった夜。私は戸締まりをして、屋敷の外に出た。闇に慣れた私の目には、どこもかしこも明るく見えてしまう。こうも夜目が利きすぎてしまうと、日中、出かけられないのもうなずける。  屋敷を取り囲む森の一つへ、私は足を向けた。前主人は『困ったら森へ行きなさい』と私に告げていたからだ。森にはなんでもあるのだと。  治秋はるあき様は事あるごとに、私に『森に行かないか』と声をかけられた。本当に私と森へ行きたかったのだろうか。それとも、私を屋敷から外へ連れ出すための口実だったのか。  サビついた臭いが鼻をかすめる。このニオイには覚えがある。吸い寄せられるように、ニオイの元へ足が赴く。  木立に囲まれた場所で、黒ずんだ跡を見つけた。小柄な黒い影が地面に横たわっている。知らない生き物だが、人間ではなさそうだ。  私は地面に広がった黒い染みに手を伸ばした。手についたそれは、確かに血だった。舐めると覚えのある味がする。目の前が暗くなっていく心地がした。横たわる亡きがらに、弔いもせずに手をつけるなんて、不道徳だ。  胸がギリギリと締め上げられる苦しみを覚えた。遠くで何かの声がした気がする。もし血を吸う人外がいると知られればまずい。春弥はるや様に危害が及ぶかもしれない。何があったとしても私が春弥はるや様のおそばを離れることは考えられない。  心を決め、鋭利な爪と牙を剥き出しにしたそのときだった。 「なぎ、なぎー!」  心臓が跳ね上がった。あれは間違いない。春弥はるや様のお声だ。  汚れた手のことなど構いもせずに駆け出した。早く戻らなければ、春弥はるや様は遠くへ行ってしまう。 「春弥はるや様!」  その名を呼べば、私はまだ戻れる気がしていた。  汚れてしまった口で、清く愛しい名を呼ぶのは、大罪に等しい。だが、構うことなどできない。 「なぎっ」  小さな体が私の方へ飛びこんできた。愛すべき主をためらうことなく抱きとめる。お体が冷えてしまっていた。 「申し訳ありません、春弥はるや様」 「ぼく、ナギとずっといっしょがいいの」  伸び上がって春弥はるや様は、私の唇に口づけを──。その瞬間、電撃が走ったように、頭の中の黒いざわめきが散った。  夜風が甘く感じられ、目の前の存在しか目に入らない。小さな主人がそばいる、そのよろこびで胸がいっぱいになる。 「こうすると、ナギといっしょにいられるって書いてあった、の……」  ガクンとひざを落とし、くずおれる春弥はるや様を抱きかかえた。春弥はるや様は散々探し回って疲れたのだろう。もう眠ってしまわれていた。なんて華奢で幼気ない主なのだろう。  私もあなた様の生涯に寄り添いたい。立場も種族も違えど、気持ちは互いに変わらないのだ。  屋敷の扉を閉めた。春弥はるや様を片手に抱え、まず手をきよめる。抱きすくめた際に汚してしまったお召し物は、手早く新しい物に替えて、寝室へと向かう。  寝室には見慣れぬ本が落ちていた。春弥はるや様がどこからか持ってこられたのだろうか。  布団を掛けて春弥はるや様を包みこみ、胸に抱きながら、その本を勝手にというのは気が引けたが、おそるおそる拝読してみた。  内容は目を疑うものだった。私についてたくさんの事柄が書き綴られていた。折り目正しいその字は、忘れもしない、薄明かりの中、残されるメモで見ていた、春弥はるや様の亡き父君──治秋はるあき様のものだった。 『ナギといっしょにいたいときは、くちとくちをくっつけるとよい。これは、〝ちゅー〟という──』  挿し絵付きでなんてことを認めているのかと思わず本を投げそうになった。  この先に起こるであろう出来事を予測するため、罪悪感でチリチリと胸を痛めながらサラサラと一通りめくってみれば、最後の何十ページかは『ここから先は春弥はるやだけが読めます。十八歳になったら読むんだよ』と釘が刺してあるので手を止めた。 「なぎと……いっしょがいい……んにゃんにゃ」  春弥はるや様が何かをおっしゃった。唇に指先をかけ、唇で食むようにして口の中に指をねじ入れようとされていた。  指をくわえるのは春弥はるや様の癖だが、くわえた指を噛むとびっくりして目を覚ましてしまわれるので、そっと小さな指を引き寄せて、私の手でつなぎとめる。  『いっしょ』というお言葉が額面通り、『命ある限りそばに居たい』であればいいのにと思ってしまう。もし、その願いの真意が『ナギと同じ時間を過ごしたい』に変わってしまったら、私はどうすればいいのだろうか。  同じ時間を過ごしているのに、同じように歳をとらない。独り残される私を憐れに思い、春弥はるや様のお世話を申しつけて逝ってしまわれた治秋はるあき様のように、春弥はるや様も私のことを独り残したくないとお考えになるに違いない。  今、春弥はるや様に迫られたなら、隣に誰かがいるよろこびを知ってしまった私は、こちらの世界に引きずりこんでしまうだろう。  ナギと名をくださった前主にさえも、心を開くことができなかった私は、彼の忘れ形見に深く心を奪われている。  春弥はるや様のすべてが愛しい。  そのときがくるまで、治秋はるあき様にお返しできなかった愛を春弥はるや様に注ごう。今はまだ、春弥はるや様の温もりを感じながら、幸せなまどろみに浸っていたい。

蜜約のヴァンパイア

愛せない名家の吸血鬼×愛されもち肌系平凡男子 快活な高校二年生、母知米もちごめ 珠月みづきは、同級生の善財ぜんざい 梓安しあんと不本意な仮の蜜約を交わしてしまう。真の密約を結べなければ、珠月の余命はあと一年もない。深愛によってのみ、硬化を免れ、永遠の蜜約を交わすことができると知った彼は、難攻不落の梓安しあんをあの手この手で落とそうとする。 →完全版はまだありません。
【prologueを読む】  痛むよりも先に、赤い雫がにじみ出てくる。中庭の花壇を掃除していたら、葉っぱでうっかり手を切ってしまった。自分で指を舐めようと、口に持っていったら、強い力で引っ張られる。  あり得ない光景だった。俺の目の前で、赤い舌が玉のように膨れ上がった雫を舐めとった。執拗に舌で舐め回され、変な声が出そうで自分の口を袖で押さえる。彼──善財ぜんざい梓安しあんが息を吸い込む吐息を指に感じた。 「ぜん、ざい……」  体がジンジンしてきて、足腰が立たなくなり、その場にへたり込んでしまう。いままさに俺の指にかぶりつこうとしていた善財は、無理やり俺を立たせた。そのまま引きずるように連れられ、空き教室へ押し込まれる。  ワイシャツが裂かれて、肌があらわになって恥ずかしさを覚えた。彼の瞳は燃えるように赤くて、俺だけを捉えている。舌舐めずりをしているのが見えた。  たまらなくなって、出血の止まった指を食んだ。すると、善財の顔が近づいてくる。俺の唇から指を奪う勢いで、噛みつかれた。俺の指を挟んで唇が重なる。舌が口の中に時折、侵入してくると、甘い痺れが全身を突き抜けた。  彼の唾液にまみれた指が力の抜けた腕ごと、机の上にだらんと落ちる。今度は彼の舌が直に口内に侵入してきた。その瞬間にもう何も考えられなくなった。されるがまま、彼と深い口付けを交わして、意識が深く沈んでいった。 「みづきっち、顔緩んでる。もちもちのほっぺ、今日のは堅焼きプリンみたくて、かーわいいの!」  頬をむにゅりと人差し指で押されて、俺は飛び上がった。俺の頬は餅みたいなのは、周知のことらしいが、誰彼構わず、感触を確かめられるのは喜ばしくない。 「こば、やめろよ。びっくりしたじゃんか」  俺の頬を狙う彼は、香 林こうばやし うるう。顔がいい。学園随一の顔面偏差値を誇る、四天王のうちの一人だった。学園長・樫木かしぎ 和洋かずひろ、生物科教員・玄光くろみつ 甘祢あまね、そして、善財梓安。この高スペック人材の中に名を連ねる、かわいい系イケメン、それが彼である。なぜ、平々凡々な俺に香林のようなハイクラスの男子がつるんでくるのか、理解できなかった。 「あー、でさ。みづきっちは信じる?」  恥ずかしい妄想に浸っていた俺は、何の話をしていたのかさっぱりだった。香林には悪いけど、正直に聞き返した。 「ごめん。聞いてなかった」 「あー、うん。みづきっちってそんな感じするわー。〝蜜約〟とかロマンチックなこと、きょーみなさそー」  蜜のように濃い血の約束。相手から血を啜られるとその人のモノになれる、と学園で女子がよく騒いでるあれだ。 「でもさー、あれって、ちゃんと蜜約を結べてないと、仮の蜜約状態のままでさ、寿命が一年になるらしいよ~」  俺はその言葉に電撃を食らって、立ち上がった。切ってしまった指を善財に舐められた日……梅雨時のあの日は俺の誕生日、六月十六日だった。今、何月だよ。二学期始まって、十月の暮れが近い。そのうわさが本当なら、俺はもう一年も生きられないってことじゃないか。 「仮なんだから、解く方法、あるんだよな……?」 「うーん? 聞いたことないなー。言っちゃえば、ただの恋伝説的だし~」  高校二年の秋、俺、母知米もちごめ珠月みづきは余命あと一年を突きつけられ、頭が真っ白になる。何度もただの作り話だと信じようとしたが、あれからほとんど顔を合わせていないのに、善財とのいやらしい夢を見る頻度が増えて、ますます不安に駆られていった。 「善財梓安! 話がある!」  ド直球に俺は善財を呼び出すことにした。相変わらず、女子だの男子だのにわんさか囲まれていても、うれしそうな素振りを見せないクールビューティっぷりだった。取り巻きに睨まれながら、俺は彼を連れ出して、倉庫裏で問い詰めた。 「善財。切った俺の指、舐めたよな?」 「舐めてない」 「ちょ、え、舐めたじゃんか」  とっくに傷が塞がってはいたが、彼に確かに舐められた右の人差し指を差し向けた。でも、彼の答えは変わらない。 「記憶にない。もう話は終わりだ」  腕をつかんで引き止める暇すらなく、彼はさっさと去っていってしまった。俺はその場にうずくまる。俺の人生は詰んだ。 「これからどうしたらいいんだ、俺……」 「こんなところで、どうしたの?」  驚いてふり返ると、そこには、穏やかな笑み系イケメンの、 「く、玄光くろみつ先生!?」  が立っていた。先生の周りもいつも女子たちでにぎわっていたが、本人からの『想い人がいる』発言があり、アマネショックを受けて傷心の女子が多くいるらしい。 「保健室に連れていこうか?」 「いえ……ちょっと悩んでいただけです」  学園の女子は玄光先生を見ると、ハートショックを受けるようだが、俺にとっては、ヒーリング対象だった。先生を見てると、なぜか心が落ち着くのだ。 「わかった。放課後、生物室においで」  そう言って、先生は手を差し伸べてくる。本当にいい人すぎて、泣きそうになる。ありがとう、ありがとう、俺に癒やしをくれて。 「ありがとう……ございます」  俺が先生の手を取ると、先生は緩やかに微笑んだ。  どんな地獄にも助け船は浮いている。潤の下校前、彼から頬もちもち度チェックを食らってから、生物室に早足で向かった。 「失礼します」 「どうぞー」  すぐに中から声が返ってきた。静かに戸を引いて、ゆっくり閉めた。誰にもここに来たことを見られたくなかった。だから、物音を立てたくなかったのだ。 「今日は誰とも予定を入れていないから、安心して」  奧の生物準備室のドアを開けて、ドアプレートを対応中に変えて、先生は俺を招き入れた。紅茶のいい香りが漂っていて、心が落ち着く。 「紅茶はストレートで大丈夫かな?」 「あ、はい! 飲めます」  俺は目を丸くしてしまった。ストレートでいいか聞かれたのは初めてだったからだ。 「どうかした?」 「い、いえ……レモンかミルク、どちらにするとか、砂糖はどのくらいとかを聞くものだとばっかり思っていて」  差し出されたコップを受け取る。程よい温かさで、良い香りが湯気とともに立ちのぼっていた。 「そうだね。君は香りを楽しんでいるようだったから、ストレートを好むと思ったんだ。そういう、状況分析からだよ」 「じゃあ、先生は俺が何で悩んでるか、分かりますか」  ついそう口にしてしまった。すぐに厚かましかったと思って、訂正しようとするよりも先に、玄光先生が「いいよ」と手で制した。 「意図せず、望まない蜜約を結んでしまった。その蜜約は仮のもので、正式な蜜約を結べなければ、一年以内に君は死んでしまう。だけど、仮の蜜約を結んだ相手には、素知らぬ顔をされた。どうかな?」 「それは……本当のことなんですか?」  当たりすぎて、俺と一つ屋根の下で暮らす父親なんじゃないかぐらいの的確さはこの際、不問にしたい。先生は穏やかだけど、真剣な眼差しで俺の目をじっと見て、こう告げた。 「事実だよ。だから、私からの提案なんだけど」  震える俺の手から、先生はカップを奪って、テーブルの上に戻した。イスを近づけて、至近距離で先生は言う。 「私と蜜約を結び直さないか?」  こんなにずっと、長い時間、見つめられたのはきっと初めてだ。心臓が跳ね上がったが、俺は混乱でいっぱいになった。 「まって、ください……解く方法ってないんですか」 「ないよ。一度、仮でも蜜約を結んでしまったら、深い蜜約を交わさない限り、余命の制限はなくならないんだ」  先生は悪い冗談は言わない。だから、余計、その事実が突き刺さって、つらくなった。父はどうなるんだ。男で一人で育ててくれた父に、何て言えばいい。ある日、突然、息子が余命があと一年もないなんて聞かされたら、父はどうなってしまうのか。 「俺……父さんと二人でずっと暮らしてきて、めちゃくちゃかわいがってもらって……そんな父にあと一年もしないで死ぬなんて言えないんです……」 「私は君と蜜約を結ぶことを君のお父さんには言わないよ。君はこれからもいつも通り、十八歳を過ぎても、家族と変わらず、過ごせる。どうだろう?」  わななく手を両手で包み込まれて、安心感が生まれた俺はうなずきかけた。でも、そう簡単に「はい」とは言えない。だって、先生には『想い人』がいるんだから。 「かんがえ、させてください」  なんであんなにいい人過ぎるのか、ありがたいを通り越して不安になってくる。不安が胸を渦巻き、頭がいっぱいで、父にただいまを言うとき、ぎこちなくなってしまった。「夜遅くまでお疲れ」と言われ、部活だとか、とっさに嘘をついてしまったことにさらに胸が痛んだ。本当はぼう然として、公園をフラフラしていただけだったが、余計な心配はかけたくなかった。  部屋に引き上げてから、今日、突きつけられた選択に頭を悩ませる。余命宣告を受け入れるか、甘祢先生に犠牲になってもらうか。究極の二択だった。このままでは、父親を残して齢十八にも満たぬ歳で、死ぬことになる。しかし、甘祢先生と密約を結び直すという選択肢をとっても、彼の失うものは計り知れない。  ぐるぐると猛烈に悩みながら体を曲げていたせいか、つま先に手が付かなかった。部活動の準備体操並みに、無理やり伸ばしてみたが、やはり手が届かなかった。あまりにも体が硬くてやる気がしない。ため息がこぼれる口を塞いでしまおうと、頬を触ったら一瞬、シコリのような硬い物に触れた。  怖くなったが、蜜約の伝説についてすぐにスマホで調べた。真偽のほどが不確かな情報ばかり溢れていたが、一つ、ピンときたものがあった。 『仮の蜜約から一年立つ前に、真の蜜約を結ぶ相手として選ばれなかった者は、全身が硬化していき、永遠の眠りから覚めることはないという』  血の気が引いていった。あれはただの事故で、血を吸われて望まぬ蜜約を仮に結んでしまっただけなのに。こんな不幸、あってたまるか。あいつが俺を選べば全て解決するのに。甘祢先生も父も傷つけない唯一の方法。善財梓安をその気にさせてやるしかない。俺はない頭を必死に振り絞って、学園一の氷王子を落とす計画を練り始めることになった。
「シャドーブラッド」無配版 著者:兎守 優(旧:内山) 頒布日:2021年10月31日 この物語はフィクションです。 転載・アップロード・私的利用以外の複製は厳禁

書誌帖

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