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夜灯 小説 Novel
黒き荊の檻 R18

BLメイン、ダークファンタジー・シリアス・R18作品があります。


当作品はR18です。まちがって開いちゃった18歳に達してない方は、そっとタブを閉じて、またのお越しを!

黒き荊の檻 R18


人間嫌いな特殊捜査員の吸血鬼×崖っぷちな搾取される贄刑事

 捜査協力の対価は、血液の供給。この男の不可思議な魅力に当てられ、刑事は次第に、彼に全てを捧げていくのだが。


篠垣ささがき 泰生たいき
 一課の刑事。邪魔者扱いされている。
楠城くすのき 七星しちせい
 人間嫌いの吸血鬼。捜査協力者。
南場なんば 綾史あやふみ
 一課の元エース。殉職している。
赤矢あかや 隆次りゅうじ
 一課に配属された新人。
八古部やこべ 純持じゅんじ
 特殊捜査員。



 胸のつかえが少しだけ取れる。鬱蒼とした森の中を歩かされたときは、魔女の家にでも辿り着いてしまうのではと、心臓が縮み上がっていたのだが。
 血の涙で憂う瞳から目が離せない。そいつの目を見てはいけないと言われていたのに。
「いらっしゃい」
 手招かれるままに、俺の足はそちらへ吸い寄せられる。診察台の上に座るように導かれて、押し倒された。
 吐息が首筋にかかって心臓が跳ね上がる。
 お願い、それが欲しい。
 たまらなくなってしまう。
 その牙が沈められたとき、恍惚が脳髄を突き抜けて、全身が弛緩した。
 ダメなのに、欲しい。もっと奥まで暴いて欲しくて、彼の背中にすがりついてねだった。
「おい」
 いつだって、誰かの罵声が、俺の膨らんだ思考を叩き割る。聞き間違いでない。そう呼ばれるのはこの課では俺以外にいない。
「この場所に行って捜査協力を仰いでこい。資料はこれだ」
 夢の一課に配属が決まってよろこんだのもつかの間、末席の烙印を押された俺はすぐに、奴隷としてこき使われはじめた。囮として使われ、重傷を負ったことも数知れず。
 だから目覚めたとき、また病院に運ばれたのだと思った。消毒臭にしては甘ったるい、チョコレートに似た香りが鼻をくすぐる。
「目が覚めたか」
 椅子から立ち上がった男は診察台の俺を見下ろす。彼は俺を見ているはずなのに、彼と目が合わなかった。
「なぜ、俺の目を見た?」
「目を見て話すのは基本……」
 そういうマナーの話ではない。目を合わせるなと資料には書かれていた。それでも、俺は見てしまった。
「対価はもらった。返事はそこに」
 腹の上に資料がぱらりと落とされた。こんなに薄い紙切れ一枚に、上司の求めたものが記されているというのだろうか。
「もっと情報が欲しいなら、それなりの代償を支払ってもらわないと」
「は、払う! だから、完璧な資料が欲しい。頼む」
 完璧でないものは意味がない。すがるような懇願に、男は愉快げに喉を鳴らした。
「俺は楠城くすのき 七星しちせい。君は?」
 名前なんて聞かれたのは久しぶりだった。自分が何者なのか、長らく忘れていた。
 捜査一課の奴隷係を誰も名前でなんて呼ばなかったから、自分のことを語ろうとすると舌がもつれた。
「おれ、は……篠垣ささがき 泰生たいき」
「では、タイキ。先に報酬をもらおう。心配するな。君が眠っている間に、資料は仕上がる」
 楠城くすのきの赤い目が俺の視線と合わさる。彼の口から細い牙が見えた。恐怖を感じる間もなく、首元に噛みつかれていた。
 俺の穢れた血がすへて吸い尽くされていく感覚。彼の喉から、全身に行き渡り、糧となる。ゴミ扱いされる俺でも、誰かの役に立っているという心地がして、たまらなく気持ちがよかった。
 抑えられないあられもない声も、恥ずかしいとは思わない。終いには脱力しきってしまい、我慢ができず、イッてしまう。
 頭が急にグンと重くなり、そのまま意識が沈んでいった。
「さあ、君はどこまで、正気でいられるか、楽しみだ」
 誰かが何かを言った。放たれた言葉の意味は、酩酊したこの頭ではもう理解できなかった。ただ、俺を見下ろすその瞳が、ひどく心を捉えて離さない感覚だけ覚えて、夢に落ちていった。

 俺が寝落ちている間に、楠城くすのきが仕上げた資料には、正に穴一つないぐらいの完璧な見解が書き記してあった。一課の者たちですら皆、舌を巻き、焼き回されたコピーをえらく読みいっていた。
「一週間……ずいぶんと早いお手上げのようだ」
 また血なまぐさい複雑怪奇な事件が上がった。早期解決のために、俺は楠城くすのきの元に行けと言われ、こうして彼の元を訪れた。
 薄暗い部屋の真ん中に置かれた無機質な台。ここで俺は彼に対価を差し出すのだ。すべては事件を速やかに解決に導くために。
「タイキ。ここに仰向けに」
 つまずきそうになり、前のめりになった。運よく台に手をつけたから、頭を打ちつけるような事態にはならなかった。
 思ったよりも診察台は背が高い。台というよりは、大きなロッカーを倒したような箱型に近いものだった。
 こんな台の段差一つで手間取るなんて、倦むほどひどく疲れているせいだろう。
 みっともなくとも、手をついたそのまま格好で診察台に乗り上げ、台の中央に座った。
 ネクタイを抜き去り、首元をくつろげる。冷たい台の上に横たわると体が跳ねる。俺の情けない反応など構わず、楠城くすのきが覆い被さってきて、知らぬ間に首元に吸いつかれていた。
 甘い匂いに嗅覚が支配され、頭がボーッとしていく。
 喉が鳴る音がよく聞こえた。吸われる感覚はひどく心地よく、満たされるだけでは終わらない。ジクジクとした疼きが迫り上がってくる。
 力が抜けきって、それなのに熱がくすぶり、体を捩ることさえままならない。
 逃れられない快楽が止めどなく押し寄せて、気持ちがよくてどうにかなりそうだった。
 もっと欲しい。そう思ってしまう。口の端から冷えた無価値な唾液が伝って、頬を流れていく。
 ベロリとそれを舐め上げられて、這い上ってきた唇が唇と重なる。触れる熱に高揚を覚えた。ゆっくりと唇が、俺の唇を撫でる。
 何をしているのか、分からない。でも、与えられるそれは、俺が欲している、〝もっと〟に違いなかった。
 唇を舐められて、滑りのよくなった俺の唇は、エサを待ち望むヒナのように、滑りこんでくる舌を受け入れて、口を開けた。
 価値の低い俺の唾液と、有用な彼のそれが口内で混ざり合う。ひどく胸が高鳴った。
 舌を吸われる度に、甘い疼きがジンと広がっていって、下着がぬれていくのを感じた。
 悦が弾けて、意識が飛び、次に目を覚ましたときには、俺のモノが生暖かいものに包まれていた。ただ擦って出すだけの、味気ない性処理とはちがう。
 ねっとりと這う舌に竿を舐め上げられ、ぬるつく口内に扱かれて、亀頭を吸い上げられる。だらしなく足を広げて、意味のないうめきを吐き、迫り上がる射精感に耐えることなく、腰を浮かせて俺はイッた。
 後ろの窄まり、そこは何をする場所だっけ。そのひだを舐められて、ごつごつした質量のある何かが何度もナカを行き来して、される行為の意図もよくも分からないまま、俺の性○はまた硬度を取り戻していた。
 程なくして、太くて熱い楔が打ち込まれた。何度も何度も、質量のある硬くて長いモノの抽挿が繰り返される。
 擦れるナカは、質量の増すそれで突かれて苦しくて焼けるように熱いのに、トロトロとしていて、たまらなくなる。
 覆いかぶさる彼にしがみつく直前、俺は彼を見た。その赤い目は熟れるように膨れ上がって、今にもこぼれんばかりだった。
「タイキ」
 甘い囁きが脳を支配していく。快楽があふれて、歯止めが利かない。熱いモノを突き入れられて、全身を揺さぶられ、名前を呼ばれる気持ちのいい──この行為は対価なのか?
「聞いてんのか!」
 また、思考がパシンと爆ぜた。声のした方へ、顔を向ければ、皮膚がヒリつく衝撃がまた走る。
「南場なんば 綾史あやふみはどうしたと聞いているんだ」
「あ、うえ……あぅ?」
 相手に答えたつもりなのに、舌がもつれて、言葉にならなかった。
「一課のエースの、南場……」
 騒がしい声は遠ざかっていった。
 誰とは口にせず、「アイツに触れるな」「早くつまみ出せ」とみんなが俺を煙たがっていた。
 俺みたいなお荷物のこと、なんで、楠城くすのきは名前で呼んでくれるんだろうか。
 ──南場先輩。急に頭が割れんばかりに、俺の声に似たその言葉が脳内に鳴り響いた。


 これは情報提供者の男が語ったそのままを記す。尚、情報提供者の男の身元については、特殊案件のため、触れてはならないものとする。
 俺──失敬、私は命令を受けて補佐役と現場へ向かいました。私が到着した際にはすでに、こちらの一課の捜査員はほとんどが絶命しておりました。
 あぁ。ここからは凄惨な現場の話になりますので、皆様方、それ相応の現場を目撃してこられたでしょうが、経験の浅い方はご退出をお勧めします。
 結論から言えば、生き残ったのは、篠垣ささがき 泰生たいき刑事、ただひとりのみです。私と同行した補佐役も殉職しました。
 これだけ覚えておいていただければ後は聞かなくても構いませんので。事情聴取とのことですから、すべてお話ししますが、どうされますか?
 よろしいとのことですので、お話しします。
 私と補佐役が見たのは、こちらで言うところの、吸血鬼、が人間を襲っている現場でした。具体的に申し上げますと、吸血鬼は篠垣ささがき 泰生たいき刑事の着衣を乱し、後ろから羽交い締めにし、彼の肛門と思わしき場所に、自らの性○を挿入し、抵抗できない状態で性行為を強要していた現場です。
 いつでもご退出を。では、続けます。吸血鬼──ホシとは言わず、吸血鬼を強調するため、そう言いますが、吸血鬼は妖術の類を使い、発見当時、腰から下の欠損により重傷だった南場なんば 綾史あやふみ刑事の体を操り、宙に浮かせた状態で、自らの性行為を強制的に南場刑事に見せておりました。
 私は吸血鬼と篠垣ささがき刑事を引き剥がしましたが、吸血鬼が抵抗した際、私と同行した補佐役が吸血鬼に殺害されました。
 私は殺しの犯人である吸血鬼を危険と判断し、やむを得ず、その場で処理しました。
 犯人死亡後、現場の血の匂いに誘われたのか、獣たちが集まってきておりました。
 篠垣ささがき刑事は意識を失っており、重傷の南場刑事はまだ話せる状態にありました。彼にこう、私は遺言を託されました。
 『篠垣ささがき 泰生たいきを連れ帰り、事件の一切を忘れさせて欲しい』と。
 彼はそう言い残して絶命しました。私は彼の遺言に従い、篠垣ささがき 泰生たいき刑事を連れ帰り、彼の記憶を意図的に操作しました。記憶の操作にしては、特殊案件ですので、割愛させていただきます。
 後日、現場へ戻りましたが、飛び散る──

 報告書を盗み見た、赤矢あかや 隆次りゅうじはファイルを押し込んで、急いでトイレへ駆け込んだ。
 彼の感情はぐちゃぐちゃに混ざり、抱いていた憧れや羨望はすべて崩れ去った。
 何度、トイレのレバーを回して、水に流しても、不用意に抉ってしまった傷口がめくれ、不快感が膿のようにジクジクと沸いてきて、彼は嘔吐を止められなかった。
 一課のエース、南場なんば 綾史あやふみ。赤矢は彼に憧れて、やっと夢の一課へやってきた。
 だが、彼が聞けども、聞けども、誰も南場の所在を吐かない。
 きびきびと事件を追う刑事たちが行き交うこのフロア内に、一人だけ、デスクで気の抜けた抜け殻みたいに座っている男が、彼の目についた。
 赤矢は腹を立てた。どれだけ努力や実績を積み重ねても、捜査一課へ配属される者はほんの一握りだ。その貴重な席をやる気のない人間が一つ、陣取っている。
 赤矢は刑事だ。どんな人間であろうと、冷静に対処できる自制心は持ち合わせているはずだった。だが、憧れの南場がいない者として扱われ、聞いてもかわされる状況で、彼の広く許す心が壊れてしまった。
 赤矢が近づいていったデスクには篠垣ささがき 泰生たいきと名札があった。赤矢がたずねるも、篠垣ささがきの反応は他のどの人間より鈍く、発する言葉は、言葉にすらなっていなかった。
 赤矢の怒りが沸点に達する。彼が怒鳴り散らし、篠垣ささがきの胸ぐらをつかめば、一課の人間がすぐさま彼らを取り囲む。あれだけ赤矢が聞いて回っても、反応の薄かった刑事たちが、無気力な篠垣ささがき一つで動く。
 赤矢は暴れた。フロアから出され、彼は強く言い聞かせられる。『篠垣ささがきに触れるんじゃない』と。
 つまみ出した刑事は赤矢に小さな声で告げる。『南場は死んだ。もう二度と聞くな』と。
 魂の抜けたようなクソ刑事と、殉職した一課のエース。赤矢はこの二人がどうして一課の禁忌なのか、分からず、隠れて暴走し、刑事らしからぬ、機密資料庫に進入した。一課取扱い要注意と書かれたファイルを勝手に閲覧してしまい、今にいたる。
 這うようにしてよろめきながら、赤矢はトイレから出た。
 洗面台に手を伸ばし、立ち上がる。震える手で蛇口をひねれば、水の勢いが増していく。彼は水の逃れる様を虚ろな目で捉えている。
 前かがみになり、項垂れ、そのまま渦を巻くそこへ、引きずりこまそうな錯覚に、赤矢は陥っていた。
 洗面台の縁をつかんでいた指がズルズルと服のラインに沿って落ちていく。ズボンのポケットに小指が引っかかった。
 ポケットを探り入れて、赤矢が手にしたのは、一発の銃弾だった。
 赤矢はその細長い形を見つめる。しばらくそうしてから、彼はもう一方の手と合わせて指を組み、それをまるでお守りのように握りしめた。
 握りしめた手を掲げ、額に擦りつけるような祈りが終わると、水の流れる音は止まった。


 ぽたり、ぽたり。血が滴っている。
 どうしよう。俺はどうしたらいいんだ。
 覚えている、悲鳴、俺を呼ぶ声。消えない叫びが、真相の待つ方へ行けと俺の足を動かす。
 俺は今から、過去のとある事件のホシの元をたずねる。しかし、彼は数々の難事件を解決に導いた協力者だ。
 思い出した。思い出してしまった。俺の仲間がみんな殺された日のことを。
 南場先輩は俺の憧れだった。そんな彼から運よくかわいがってもらい、一課の刑事として使えるよう、育ててもらった。先輩は死んだ、俺の目の前で。
 みんなを先輩を殺したのは──楠城七星・・・・だ。
「頼む。自分はどうなってもいいから、もうみんなには手を出さないでくれ」
 楠城くすのきの元をおとずれ、開口一番、切に頼みこみ、俺はすがりついた。
「面白い見解だ。篠垣ささがき」
 赤い目、牙、妖術を使う人ならざる者──吸血鬼。楠城くすのきは吸血鬼だ。敵わないのはとうに分かりきっていた。
 楠城くすのきの手が俺のあごを押し上げ、指が唇をなぞる。見上げれば彼は薄ら笑いを浮かべて、舌なめずりをしていた。
「俺が頼みを聞く義理はないが、そうだな。興が乗った。そこに横になれ」
 いつもの診察台を彼はあごで指した。
 楠城くすのきが約束を守る補償はない。だが、言うことを聞かなければ、さらに俺の仲間たちを手をかけるだろう。
 大人しく言うことを聞こうとした振り向きざまに、体をさらわれた。次の瞬間には、台の上に押しつけられ、首筋を噛まれていた。
 気持ちのよい行為ではなかった。痛みで脳が焼きれそうになる。今までこの感覚を悦と勘違いしていたのではと、空おそろしくなる。
 恐怖や痛みを感じるのに、頭は重く、夢の膜が張っているようで、思考が鈍い。
 ボーッとしている間に、いつの間にか体を暴かれていた。無理やり突き入れられて、下半身に痛みが走る。
「あ、ぅあ……」
「もっと悦べ、タイキ。南場に聞かせてやれ」
 あの惨劇の再演のように楠城くすのきは、そう声高に俺をなじり、辱める。
 敵わない者が願う。釣り合わない願いの代償は、現実にはない痛みをひどく生む。繰り返される悪夢に心身が冒されていく。
 何度も何度も。乱暴な行為は冷たい台の上で繰り返される。後ろから激しく揺さぶられ、俺の張りつめていたモノは、何度目かの精を放ち、無機質な台を白濁で汚した。
 ひどく興奮した息づかいと笑い声が聞こえる。それきり、俺の正常な感覚と思考は、ほとんど機能しなくなった。
 痛みの中に、ときおり走る、悦楽。漂う甘い香り。タイキ、タイキと切に呼ぶ声。行為の羽休めのようなゆっくりとした抽挿。触れられた場所から甘い疼きが生まれて、溶けてしまいそうな心地よさに、はしたない声が止まらなくなる。
「ぁ……んぁ、あっ、イイ、あン」
「タイキ、タイキ……っ」
「ンんッ、はぁ……せんぱい」
 鎖の音が鳴り、ぱちんと夢が弾ける。俺は熱に浮かされながらも、振り向いて相手の顔をのぞき見た。向こうも顔を火照らせながら、驚いたような顔をした。
 精悍で男らしい、あの人の顔。俺をかわいがって、育ててくれたあの人の顔だ。そして、血を吐き泣き叫ぶあの人の顔、いつも甘くていい匂いがしていて、甘いもの好きがバレたくなくて隠れて飴を口に入れていたり、知られてからはたまにこっそりくれたり、ぜんぶ、ぜんぶ、押し寄せてきて、何が現実で夢なのか分からなくなる。
「なんば、せんらい?」
「ち、がう。俺は」
「おい。何を勝手に止めている」
 どこからかした鋭い声に呼応して、先輩の目がケガをしたように赤く熟れた。
 先輩は歯をギリギリと食いしばり、首をぎこちなく左右に動かしていたが、やがて腰の動きを再開させた。
「ぁ……せんらい、せんぱい、よかった、れす……あんっ」
「ダメだ、タイキ。頼むから、見ないでくれ」
「せんらっ、んんッ」
 甘くとろける口づけに、言葉は飲み込まれる。絡み合う舌は火傷しそうなほど、熱い。
「もうイきそうじゃないか。そうだな、果てると同時に噛め。凄まじい絶頂を味あわせられるぞ」
 そうだ、これは確か、楠城くすのき……の声だ。
 声のした向こうへ意識を向ければ檻が見えた。俺の手足には錠と鎖がついている。
 捕まったのは、俺だ。後ろで荒く呼吸を繰り返し、腰を打ちつけて、俺を呼ぶのは、確かに先輩の声で。
 どうして、死んだはずの南場先輩が生きていて、楠城くすのきが言うと先輩は言うことを聞くのか。
 悦は体の中で膨れ上がるばかりで、もう考えられない。
 先輩が生きていて、俺を可愛がってくれて、気持ちよくて、楠城くすのきの声がして。たまらなくなって、わけも分からず、精を吐き出していた。
 出しながら、吸われている。先輩が首筋に牙を突き立てて、一心不乱に血を啜っている。
 ──俺の血が彼らを生かしている。強い陶酔が胸に落ちた。


 それから毎日、日が経っている感覚さえつかめなくなっていたが、意識が戻ると、俺は檻の中、鎖に拘束され、南場先輩と気持ちのいいことをしていた。
 でも、先輩は絶対に正面からはシてくれない。いつも後ろから、揺さぶるばかり。
 先輩と正面からつながりたい。顔をちゃんと見ながらセッ○スがしたい。
「そろそろ新しい刺激が必要だろう」
 暗がりの向こうから、楠城くすのきの愉快めいた声がした。ステージライトのように照らされるのは、俺たちが交わる檻だけだったが、珍しく、観客側に明かりが灯った。
「コイツはここへ近づきたくてうずうずしていたようだったから、お望みどおり招いてやったんだ」
 先輩に後ろから硬いモノを出し入れされながら、暴力的な快楽に喘いでいた俺は、なんとか顔を上げてそちらを見た。
 椅子に座っている人に、スポットライトが当たっている。
「特等席で鑑賞させてやろう。だが、タダとはいかない」
 檻の向こうから、目と目が合った。スーツを着た若い見た目の男。俺と目が合ったのは一瞬で、彼の目線は別の人に移っていた。
「なん、ば……さん?」
 彼は先輩を呼んだ。だが、先輩は俺との行為をやめようとはしなかった。ちがう。止められないんだ。楠城くすのきがやめていいと言わないから。
「そう。貴様が行方を追っていた南場なんば 綾史あやふみだ。俺の眷属にしたが、コイツがどうしても刑事を忘れられないようだから、偽名で特殊捜査員にもしてある」
 椅子に縛りつけられている男は憤った。
「刑事を二人も不当に監禁しておいて、タダで済むと思っているのか!」
「貴様こそ、拳銃一丁のみで乗り込もうなどと余程、物を知らないと見える」
 拳銃がひとりでに宙を舞う。
「貴様はすべて俺の犯行だと勘違いしているようだが、実際にホシはいた。南場も助けてやった。願いも律儀に聞いてやったぞ。だが、そもそも俺が自分の配下にした者をどう扱おうと構わないんだ」
「ゲス野郎が……」
 背後から低い声がうなる。南場先輩が発したのだと分かるまで時間がかかった。
「おいおい。真のところで人間嫌いな貴様を 慮 おもんぱかって、俺がどれだけ温情をかけてやったと思っている。まぁ、俺は篠垣ささがきに持ちかけられた取引の方が面白いと思ったのでな。そちらを呑むことにしたが」
 銃声が一発、響いた。鮮血が飛び散って、顔に跳ねる。先輩がうめく。俺の目が覚めた。
「『自分はどうなってもいいから、もう・・みんなには手を出さないでくれ』。篠垣ささがき。今までの分も含めないからこうなっても仕方ないんだぞ?」
 楠城くすのきは高笑いをした。俺は動けずにいる。
 「南場さんッ!」と男が叫んで、椅子を揺らした。
「この外道が! 眷属とか言って、仲間を撃ちやがって。あの日、仲間をやったのはてめぇなんだな!」
「あぁ、彼ね。邪魔だったから、消したよ。『補佐役が吸血鬼に殺害された』。俺は嘘の証言はしていない。考えもせず鵜呑みにしたのが悪い」
 「お前は悪党だ、有罪だ」と男は暴れるが、楠城くすのきは暗がりの向こうで笑っているだけだ。
「篠垣ささがき。願いは具体的であるべきだ。身に刻むといい。『自分はどうなってもいいから、もうみんなには手を出さないでくれ』。俺が・・直接手を下さなければ、願いに背いたことにはならないとも取れる」
 暗闇からにゅるりと得体の知れないツタが現れた。
「これは俺の使い魔だったが、使役関係を放棄する。コイツは精気を吸う生物でな」
 支配を解かれたツタは身近なものに絡みついていく。椅子に拘束された男にまとわりつき、服のすき間からそのツタを侵入させていった。
「なんだよ、これ!」
 男から悲鳴が上がる。ツタの動きは止まらない。
「おい。いつまで傷を癒やしているつもりだ、南場。お前の大切な後輩が手持ち無沙汰だぞ? かわいがれ」
 途端、先輩が律動をはじめた。彼の手が俺のモノを扱くから、快楽で頭が溶けそうになる。
 向こうからは悲鳴がずっとしている。見ればツタは男のスラックスを剥ぎ、ぬらぬらとテカる分泌液を出しながら、男のモノに絡みつき、ゆっくりと這い回っていた。
 男のソレに刺激を与えて屹立させると、ぬれたツタの動きが止まった。ツタの一部が蕾のように大きく膨れ上がり、割けていく。
「その使い魔──おっと、元・使い魔だが、本体は花で、その花は中心に管を持っており、その管を相手に刺して、精気を吸い取るんだ」
 花開いたツタから、細い管が伸びていく。男のモノは他のツタに扱かれ、質量を増していく。
「ヒッ、やめろ、やだ、いやだぁ!」
 つぷりと管が竿のてっぺんを突けば、絶叫がこだました。そのまま細い管は、ぬれた音を立てながら、男のモノに侵入していく。
「分かるか? 花の管が貴様の尿道を通っているんだ」
 口の端から垂れていくよだれにツタが吸いつき、男の口内にツタが飲み込まれるように入っていった。
 男の足がわなわなと震えだす。男のモノに入りこんだ花の管はにゅるりと伸び続け、やがて止まる。
「確か、貴様は赤矢あかや 隆次りゅうじだったかな。赤矢。貴様はこれから二度と経験することのない絶頂を味わうだろう」
 尿道に管を突き立てたまま、花が男のモノに覆いかぶさる。「この花は精気を吸うのに長けている。花自体も吸引を行うんだ」。その声のあとに、花弁が収縮をはじめた。艶めかしい悲鳴が上がる。
 俺の脳内は真っ白になった。見れば俺の白濁が先輩の手を汚していた。
「実に愉快だ。こんな美しい宴に立ち会えようとは」
「分かってんのか、お前」
 背をしならせ、のけ反って喘いでいた男がふいにしゃべった。
「あの吸血鬼野郎と同じことしてんだって、ことによ」
 「みにく、い」と男が吐き捨てた。熱に浮かされた場が一瞬で凍りついた。
「醜いだと?」
 寒い。本当に周囲が冷えていく。吸血鬼に襲われたあの夜もひどく寒かった。この熱を冷ましたら、またあの夜と同じ、惨劇が起きてしまう。
「なあ、楠城くすのき。俺はもう、南場先輩と楠城くすのきがいないと生きていけない。そろそろ俺のことも構ってくれ」
 赤矢は花に吸いつかれ、悲鳴を上げ続けている。このままでは彼が死んでしまう。どうにかしなければと必死に思考を回して、口を開く。
「楠城くすのきにされるのも好き、なんだ。だから」
 突然、悲鳴が止んだ。男はうなだれ、動きを止めた。「主従契約を放棄すると歯止めが利かなくなるのも考えものだな」とくつくつと闇が笑った。
「残念だったな。もう赤矢の精魂は尽き果ててしまったようだ」
 ニヤリと笑いながら、楠城くすのきは暗がりから姿を現し、こちらへ来る。
「だがそうだな。コイツはもういい。篠垣ささがき。お前を南場の目の前でたっぷりかわいがってやる」
 楠城くすのきが手を伸ばせば檻が溶ける。鎖も消え去った。そして、赤矢という男も。
 広く冷たい台の上。俺が楠城くすのきに血を差し出し、彼に犯された場所だった。
 「この上で南場に幾度も、吸血と性行為を命じた余興は見物だったが」と楠城くすのきは赤い目を光らせる。
「これは南場の寝床もとい、棺でな。この上でお前と交わったときはひどく興奮した」
 南場先輩が強い力で俺の両腕をつかまえて、離さない。楠城くすのきが前をくつろげる。
「さあ、宴の続きを楽しもう」
 先輩との行為でグズグズになったそこへ、ためらう間もなく、楠城くすのきのモノが突き入れられた。


 次第に人間として生きている感覚を忘れていった。俺はこの二人の吸血鬼を楽しませるために存在しているんじゃないかと思えてくる。
 俺は声も上げられないほど感じ入っていた。後ろから南場先輩が、硬くなったモノを抽挿して、突き上げるように腰を動かしながら、ナカをこねくり回す。
 前は、楠城くすのきのモノと俺のソレが擦り合わされ、ゆるゆると扱かれている。楠城くすのきの舌は口内で俺の舌を絡め取り、口内をまさぐっている。
 ときおり後ろから回った先輩の手が、ピンと起った乳首をカリカリと爪で引っかく。
 甘い痺れが大きな波となって何度も押し寄せ、真っ白になって意識が飛びそうになる。俺がイキそうになる度に楠城くすのきの手は、ひどく速度を緩めて、くすぶる俺の熱をたぎらせた。
「んー! ンんん!」
 キスの息継ぎさえ与えてもらえず、イキたいと乞うことも許されない。俺の変化に気づいたのか、楠城くすのきが唇を離した。
「南場、やれ」
 構える暇なく、ナカのしこりが先輩の硬く太いモノでグリグリと捏ねられる。
「やぁ、んっ、あ……ッ!」
 俺の先端から飛沫が吹き上がった。
「ほう。男の潮吹きというのは初めて見たな」
 恥ずかしさなど感じなかった。生暖かいモノが俺のナカに広がっていく。先輩が俺の締めつけでイッて、熱い飛沫を注いでくれているのだと考えるだけで、腰が疼く。
「射精したのか、南場。若い男だな、貴様は」
「……お前が鈍すぎるんだろうが」
 先輩の放ったモノがまだ尾を引いている。南場先輩の牙がつぷりと首筋を刺す。下から挿れられているのに、上から吸われていて。まるで俺たちは循環行為をしているじゃないかという錯覚に陥る。
「ろくに食わせもしない。休む暇も与えない。手加減もしない。お前が吸血鬼の感覚で、人間を見てるからすぐ壊すんだろうが」
「ほう。力の強い俺が悪いと?」
「お前は人間嫌いだが、人間を知りたいどうしようもない奴なんだろ。なら、人間に合わせようとしろ。相手をよくも知ろうともしないで、お前の考えをぶつけるだけの探り方は幼稚だと言ってるんだ」
 ぶるりと震えたのは快楽のせいではなかった。空気がひやりとする。まただ。楠城くすのきの怒りは場の空気を変えてしまう。
「口の利き方がなっていない小僧だな」
 楠城くすのきの目が赤く輝く。次の瞬間、俺の目の前には南場先輩が。
「楠城くすのき、お前……ッ!」
「どうした? 篠垣ささがきとこうしたかったのだろう? 喜べ、南場」
「ちがう!」
 やっときちんと彼の顔を見られるのに。先輩は頑なに目を合わせてくれない。
「素直になれないのなら、従わせるまでだ」
 「俺は」と言いかけ、先輩が自分の喉を締め上げる。
「口だけ押さえようとしても無駄だ。貴様が素直になるようかけた術だからな」
 今度は楠城くすのきが俺の両腕を拘束し、後ろから一気に肉棒を突き入れた。
「ぁ、ンんっ」
 楠城くすのきのモノの先端が奥に当たって、俺の体は悦で打ち震えた。
「俺はこのまま動かないでやる。存分に愛し合え」
 先輩が頭を抱えてうめいた。
「おれは、ぐぅっ。タイキが、クソッ!」
 重厚な固い台の上を先輩は思いきり叩きかけた。
「死んでいく後輩ばかり見送ってきた。だから、こんな……巻きこみたくなかったんだ。危ないヤマだと聞いたから、タイキには伝えなかったんだ」
 かぶりを振って、声をしぼり出すように先輩は言う。
「タイキを信用していなかったわけじゃない。まだタイキにこのヤマは早すぎると思って」
 勢いを失った拳が台の上に落ちた。
「あれは俺たちでも手に負えないヤマだった。吸血鬼絡みの事件だなんて俺たちも知らなくて」
 先輩は顔を上げかける。
 「俺は一課のエースでもなんでもないんだ。ただ生き残り続けただけだ」と言い、顔を上げた。その目には涙をたたえていた。
「タイキが俺のこと、エースでもなんでもなくて、先輩のままでいて欲しい、そう言ってくれたから俺はその言葉にすがって、苦しくても息ができて」
 歯をガチガチと振るわせ、眉根をギュッと寄せながら、声をしぼり出す。
「タイキ、好きなんだ。タイキだけは失いたくない。これがただの好意とか好感じゃないと分かってからはつらかった。俺が思う好きは、タイキにもっと触りたいとかセッ○スしたいとか思うような、恋愛感情なんだ」
 声を震わせ、肩をわななかせ、先輩は涙を落とした。
「吸血鬼に魂を売ってでも、タイキとまた会いたかった。会って、夢の中でもいいから、タイキに触れて、タイキを抱きたかった。俺はタイキをそういう目で見てしまっていた」
 泣きながら見上げてきた先輩は、赤い目をしていた。先輩の手が俺のほおを包む。
「俺を……許さないでくれ」
 唇に先輩の唇が重ねられる。優しく唇を押しつけるだけのキスだったけれど、俺はもっともっと、欲しくなってしまう。
 俺が口を開けて舌で先輩の唇を舐めれば、誘われた先輩の舌がぬるりと口内に入ってくる。舌を合わせて、吸って、あふれてくる唾液をも互いの喉に通して。
 銀糸が引く。先輩の唇が離れていく。口寂しさを惜しむ間もなく、舌が耳を舐めていく。吸いつくようにして耳をしゃぶりながら、先輩は俺の胸の尖りに手を伸ばしてくる。クニクニと捏ねたり、指の腹で尖りを擦ったり。
 気持ちが良すぎて、喘ぎが止められない。
「ん、ぁ……あんっ」
 もう片方の耳を舐めしゃぶられ、胸の尖りはカリカリと爪で引っかかれる。
 腰がガクガクと自然と揺れてしまっていた。楠城くすのきのモノを俺が抜き差しているような感覚になる。
 こんなはしたない自分が恥ずかしくてたまらないのに、先輩の愛撫でたっぷりと快楽を与えられ、体の疼きがこらえられない。
 耳から首筋へ、鎖骨と吸いつかれながら、唇が下りていく。あぁ。先輩が俺の腫れて膨れ上がった乳首に、舌を──
「やんっ、あっ、あん」
 舌で舐めしゃぶり、吸いつく胸への愛撫は想像以上に気持ちよく、片方だけで俺はよだれが止まらなくなっていた。
「んンンっ!」
 空いている方の乳首も先輩はクリクリと摘まんで回すから、快楽の逃げ場がなく、ますます腰はみだらに揺れていく。
「ん、あ……ッ!」
 先輩が乳首を柔く噛んだ。俺はその刺激でイってしまう。
 イっているのに、先輩は俺のもう片方の乳首を口に含み、出した白濁を擦りつけながら、俺のモノを扱きだした。
 果てたばかりなのに、また快楽の波が押し寄せてくる。見れば先輩のモノも先端から先走りをこぼし、そそり立っていた。
「ぁん、せんらい、もういいから、いれて、くらさいれす」
 イッた締めつけで反応のなかった楠城くすのきのことなど、俺の頭にはもうない。後ろには楠城くすのきのモノが突き刺さったままなのに。
「仕方ないな。貴様の〝素直になる〟手助けぐらいはしてやる」
 俺の体は後ろにのけ反った。両脚を広げて、先輩の眼前にそこをさらす。先輩が欲に塗れた目で、俺の全身を舐め回すように見ている。
「タイキ……好きだ、タイキっ!」
 先輩が先端をあてがう。先客がいるそこへ、無理やり、ねじ込んで入ってきた。
 苦しい。けれど、俺で興奮して硬くなった先輩のモノが望んだところへ入ってきて、苦しさよりも興奮の方が勝った。
 先輩の太くて硬いモノが、俺のナカの気持ちのいいところばかり、押し上げながら、奥へ進んでくる。ナカのしこりをぐりと押されたとき、俺の体は勝手に跳ねた。
「んゃあ、なに、これ」
 イッたはずなのに出なかった。悦が燻って、ずっと止まらない。
「やぁん、きもちいぃ、せんらい、くすのき。たすけれ……」
 必死に頭を振って泣きじゃくった。先輩が流れていく前に涙を吸う。
 後ろの楠城くすのきが腰を揺らし出した。先輩も俺の唇を奪って、舌を絡めながら、肉棒の抽挿をはじめる。二人の太くて硬いモノにナカをぐちゃぐちゃにされて、いっぱいすぎて、涙と快楽が止まらない。
「いぃ、きもひぃい、いきたい、ぁん……」
「タイキ、タイキ……っ!」
 先輩が切なげに名前を呼び、腰を打ちつけて奥を強くうがった。
 瞬間、果てた。俺の先輩の胸にまで白濁が飛び散り、俺の体を汚した。遅れて先輩が俺のナカで果てた。
 先輩が俺の首筋に牙を立て吸血しながら、ナカに熱い飛沫を注いでいる最中に、楠城くすのきのも、ぶるりと震えて、イッた。
 楠城くすのきが俺の項を噛んだ。そこで俺の意識は落ちた。


 目が覚めれば最近はいつも一緒だった南場先輩の姿がない。
「篠垣ささがき。今日は貴様と話をしてやろう」
 「なんでも聞いていいぞ」と起きがけの俺に向かって、楠城くすのきは唐突に切り出した。
 なんでもと言うので、椅子に座って足を組んいる彼を見上げて、まずは先輩の居場所を聞く。
「南場先輩は大丈夫なんですか」
 俺が座る棺を楠城くすのきは指さす。
「情けないことに撃たれたぐらいの傷の修復に手こずっているようだから、眠らせてある」
 「抜いてやったら、人間でない者にも有効な弾丸だったから、大目に見てやる」と楠城くすのきはふんぞりかえった。「刑事は聖職者の真似事も働くのか、忌々しい」と彼はため息をつく。
 そうだった。楠城くすのきをかぎ回り、南場先輩を追ってきたアカヤという男、彼はそのあとどうなったのか。おそるおそる聞いてみる。
「アカヤという男は……どうしたんですか」
「道端に転がしてきた。が、俺の知る道端・・・・・・だからな。発見されるまでに原型を留めていれば幸運だ」
 彼の言いぶりからして命は奪っていないようだが、タダで帰してやる気はさらさらないようで、これ以上追求することは断念した。あわよくば無事で帰れますように。願うことしか俺にはできない。
 代わりに俺は刑事としての職務を引き継ごうと、俺と南場先輩が吸血鬼に襲われた夜の話を聞く決心をした。
「あなたと同行した、補佐役と言っていましたが、その方を殺害したのはなぜですか」
「あやつはホシの眷属だったからだ。眷属の契約は絶対だ。主には逆らえん。邪魔になる。だから息の根を止めておいたんだ」
 そういうことか。吸血鬼の眷属というものがいかに強制力を持つか、俺は楠城くすのきと南場先輩の関係をそばで見て感じていた。
 口で命令するだけで、自分の手を汚すことなく、言うことを聞かせることができるのだ。あの場で眷属の力を使われていたら、より一層被害が広がっていたのではないか。考えるだけでゾッとした。
 だとすると。ホシと同じ吸血鬼である楠城くすのきはなぜ、人間である俺たちに手を貸したんだ?
 ホシを楠城くすのきと勘違いしたぐらいには、楠城くすのきはあの吸血鬼とさほど変わらない、言動や残忍さをふるっているのに。
「なぜ、俺たちを助けてくれたんですか」
 聞けば楠城くすのきの目が笑った。
「一つは俺が当時所属していた、特殊案件処理係の職務としてだ。もう一つは、貴様らの思い合う姿に興奮を覚え、捕らえておきたいと思ったからだ」
 特殊案件処理係というのは初耳だ。先輩も吸血鬼絡みの事件だと知らなかったと言っていた。
 楠城くすのきは、当時はと言ったので、あの事件以来、もう席を置いていないのかもしれない。俺たちが知り得なかった特殊係や吸血鬼の存在については、もう聞くまい。
 楠城くすのきの気まぐれで俺たちは助けられたということだ。先輩は吸血鬼になってしまったが、銃で撃たれても死なず、生きている。
 生きて帰ってきてくれた先輩。会いたかった、好きだったと彼は泣きながら言う。
 必死に俺への思いを隠そうとしていたことは俺にも伝わった。楠城くすのきに命令されなければ、先輩は一生、文字通り墓までその思いを持っていったにちがいなかった。
「俺は……楠城くすのきと南場先輩と、生きることができますか」
 俺は知ってしまった先輩の気持ちにどう応えたらいい。
 今考えられるのは、単純に生きて会えてうれしかった、生きている限りともにいたいという思い。これが俺の素直な気持ちだった。
「俺は構わんが、南場は望んでいない。俺が命じれば、叶えてやれないこともないぞ?」
 少しだけ胸が痛んだ。先輩は俺との関係性が変わってしまうことを望んでいないのだ。
「ただ、貴様にも俺の望みを聞いてもらう」
 楠城くすのきに頼めばすべて解決してしまうだろう。だが先輩の心はどうなる。
 俺の胸はさらに痛む。泣きながら抵抗していた先輩を強制力で従わせるなんて、二度と嫌だ。
「俺は愛を永遠にものにしたい。吸血鬼はあらゆるものを未来永劫縛りつける、漆黒の荊を有している。しかし、愛する者同士でなければ、その荊で絡め取ることができない」
「永遠とか、荊とか、よく分からないんだが、愛のために、そういう行為をすべきなのか?」
「吸血鬼は本能で花嫁を欲するものだ。花嫁と見定めたものを愉悦に浸らせ楽しませ、三十日ほど性○や体液を挿入し続けたあと……」
「待て。なんで、そんなひどいことを花嫁にするんだ。三十日もセッ○スし続けるなんて、体が保たない」
「うむ……吸血鬼は快楽を感じるまでに時間を要する。男の場合、精を放出するまでに三十日を要するものだ」
 「じゃあ、あの一回は三十日分の……」と俺は頭を抱えたくなった。楠城くすのきと俺とで根本的に、感覚がズレている。これでは話が合わないはずだ。
「花嫁と愛し合えば、俺の本能が満たされる上、荊による契約を結ぶことも可能になる」
「それでも、そんなんじゃ花嫁と結ばれる前に、花嫁が死んじゃうだろ」
「しかし、花嫁を楽しませるには、俺自身が楽しみ、美しいと思う行為を求め続ける、つまり本能に従った方がよいと言われたのだが……」
 誰だよ、コイツにそんな入れ知恵を仕込んだ奴は。いや、吹聴した奴もきっと、楠城くすのきがこうも解釈を歪めてしまうとは思っていなかったにちがいない。なにせ相手は、人間の常識が通用しない吸血鬼だ。
「篠垣ささがき。俺と愛し合って欲しい」
 楠城くすのきが俺の手を取った。
 彼のことが嫌いなら、この手を振り払えばよかったのに。彼の感情を知ってしまったから、無下にできなかった。
 曲がりなりにも、楠城くすのきは命の恩人だ。興味本位で命を救ってくれたとはいえ、殺さずに生かしておいてくれている。
 そしてあろうことか、楠城くすのきに体を暴かれるのも、嫌というだけではなくなっていた。
 俺が先輩をあきらめて、楠城くすのきと結ばれたらそれでいいのだろうか。
 芽生えてしまった先輩への気持ちを消せるはずなどないのに。
 こんな宙ぶらりんなまま、俺が返事をしていいはずがない。「楠城くすのきは……」と俺は思い切って口にする。
「俺が南場先輩と生きたいと思っていて、俺の気持ちが先輩に向いていても、平気でいられるのか?」
「構わん」
「それだと、俺と愛し合ってることにはならないだろ」
「愛し合うとはセッ○スのことだろう?」
「ちが、わないけど、体だけじゃなくて、心もないとダメなんだろ。セッ○スだけなら、楠城くすのきは俺をもう手に入れられているはずだ」
「では他に何を?」
「愛し合いたい人のことをよく知って、距離を縮めていって」
 「貴様のことならすべて把握済みだ」と押し倒し、楠城くすのきは迫る。
「楠城くすのきだけじゃなくて、俺にもそういう、相手を知りたい、好きって気持ちを持たせないといけないんだって」
「俺を知りたいのなら、血を飲ませてやる。それですべて分かるぞ」
 話もろくに聞かず、ことを性急に進め、楠城くすのきは馬乗りのまま、自分のシャツのボタンを全開にした。
 引き締まった体が惜しげもなくさらされる。楠城くすのきは目鼻立ちもおそろしく整っており、全身が目に毒だ。心臓が跳ねる。
 楠城くすのきは鋭い爪を伸ばして、自身の喉元を切りつける。首筋からたらりと、血が流れていった。
 そのまま楠城くすのきが俺に覆いかぶさろうとしたとき、銃声が耳をつんざいた。
 血しぶきが舞う。楠城くすのきの体が飛んで、台の下に落ちていった。
「き、さま。赤矢は囮だった、か……」
「赤矢の名を呼ぶな!」
 また銃声が響く。楠城くすのきがうめいた。
「貴様もアレと、同じタイプの人間か。思うあまり、危険から遠ざけようとして」
「黙れ、吸血鬼」
「貴様が遠ざけようとするほどに、想い人は近づいてしまうものだと悟れ」
 顔にかかった血が頬を伝い、唇に割り入ってきた。
 見えたのは、楠城くすのきと誰か──男の姿。森で楠城くすのきは男と出会う。男は楠城くすのきの住処へ導かれる。
 男と楠城くすのきが交わっている。楠城くすのきはひどく冷めた目をしながら、男の体を揺さぶっていた。
 次に、楠城くすのきは檻の外から、その男を見つめていた。
 男は檻の中で笑い、歌っていた。楠城くすのきはその様をじっと見つめている。彼は檻に近づこうとはしなかった。
 幾度も男は楠城くすのきに笑いかけ、歌っていた。楠城くすのきはようやく口を開く。男と楠城くすのきは言葉だけのやり取りを交わすようになる。
 互いを見つめる目は熱を帯びていく。しかし、二人が触れ合うことはもう叶わない。檻に楠城くすのきは近づけないのだ。
 男は檻の中で人の形を失っていく。やがて白い花となり、大輪をいくつも咲かせる。楠城くすのきは遠くから咲き誇るさまを黙って見つめている。
 十字架を首に下げた者たちが、花を摘み取っていく。楠城くすのきはその花が枯れるまで、彼らの行為を目に焼きつけ続けていた。
 やがて、枯れ果てる。楠城くすのきは檻のなくなった跡地へ近づく。楠城くすのきは憤るわけでも絶望するわけでもなく、男が花となって散った痕を見下ろしていた。
 顔を上げたときには、楠城くすのきは笑っていた。花になる前の男と同じような笑みを浮かべて。
 楠城くすのきとちがう男が二人で夜の町を歩いている。二人の行く先には、俺と南場先輩と、俺の記憶の中で顔も声も思い出せない、楠城くすのきに置き換わった吸血鬼がいた。
 楠城くすのきの隣の男が、急に自分の首をかきむしり出した。男は牙をむき出しに、何かを楠城くすのきに訴えている。楠城くすのきは笑みを湛えたまま、男の首を落とした。
 俺を襲っていた吸血鬼を葬り、俺を見下ろす。その目は冷めた目をしていた。
 彼のその目に見覚えがある。花になって潰えた男を見ていたときに、似ている。
 あのとき、楠城くすのきは俺の中に、結ばれたかった男の面影を見いだし、手を差し伸べたのだと気づいた──
 何が起こったのか、俺はようやく理解した。このままでは楠城くすのきは殺される。
 それは。そんなのは。
「いやだ!」
 俺は跳ね起きて、台の下に転げ落ちた。
「やだ、やめてくれ! 楠城くすのきを撃たないでくれ!」
「俺は聖職者、特殊捜査員の八古部やこべだ。君は、誘拐されていた篠垣ささがき 泰生たいき刑事──人間だ。人間は殺せない。退くんだ。君は吸血鬼に毒されているだけだ。こちらで保護する!」
「いやだ、行かない。俺はここにいる! ここじゃないともう生きられないんだ、やめてくれ!」
 楠城くすのきが俺をひどくいたぶったから、記憶が上書きされて、少しの間でもあの事件を思い出さないでいられた。陵辱した吸血鬼の顔も声もすべて、乱暴な行為を与える楠城くすのきに置き換わってしまっていた。
 俺はもう、吸血鬼になる前の南場先輩といた、元の場所へは戻れない。
 楠城くすのきに暴力的な快楽を植えつけられ、南場先輩とのセッ○スを強要される。
 もう、それしか、俺がまともでいられる方法がない。
 気づいたら、刺客につかみかかり、銃を奪っていた。
「銃を返しなさい。君は混乱しているだけだ。早くここから出よう。そうすれば術も解けて、ぜんぶ大丈夫になるから」
「いやだ! 俺は、俺は……」
 後ずさる相手に銃口を向ける。相手は人間だ。これは正当防衛ではない。今から俺がやろうとしているのは、自分のわがままのために、相手の命を身勝手に奪う行為に他ならない。
 犯罪を悪を取り締まるのが刑事だ。それなら、ここにふさわしい者がいる。銃口の向きを変えた。
「や、やめろ!」
「南場、起きろ!」
 刺客と楠城くすのきが同時に叫ぶ。棺桶の蓋が弾け飛んだ。


 保護対象──篠垣ささがき 泰生たいきが混乱し、引き金を引きかけたとき、飛び出してきた男──南場なんばが、その手から銃を奪い取った。
「せん、ぱい。俺、もう先輩と楠城くすのきがいないなら、生きていけない」
「タイキ」
 泣き崩れる篠垣ささがきを現れたもう一匹の吸血鬼が懐柔していた。
「もう一体だと。人間から離れろ、吸血鬼!」
 銃声が鳴った。聖職者、八古部やこべは遅れて、肩に痛みを感じ、よろめく。
 「一発ぐらいで済んだこと、幸運に思え」と、地に伏す吸血鬼がわめく。奪われた銃が宙を舞い、八古部やこべを撃ち抜いていた。
「もう誰にも奪わせない」
 吸血鬼の背中から荊が這いでる。吸血鬼が保護対象の人間の首元に噛みつき、血を啜っていった。
「荊で冥約を結ぶ気か! させるか、吸血鬼ごときに!」
 八古部やこべは叫び、むしり剥がす勢いで飛びかかろうとした。
「そいつは俺が眷属にした元人間だぞ。殺せるのか、聖職者!」
 楠城くすのきの言葉に、八古部やこべは一瞬の動揺を見せてしまった。
 刹那、吸血鬼は血を吸い尽くした人間の唇に唇を重ね、荊で貫く。
「貴様らは生まれ変わっても、離れられぬ契りを交わした。実に美しい最期。愛しているぞ、篠垣ささがき」
 地を這っていた楠城くすのきが撃ち抜かれた。「うるせぇよ、クソ吸血鬼が」と撃ったのは、人間を失血死させ、荊で貫いた吸血鬼だった。彼はその銃で自身を撃ち抜き、自身をも自らの荊で貫いて果てた。
 人間と吸血鬼。本来であれば交わることは叶わない。
 交われるはずのない二人。彼らの永遠の契りが冥約によって交わされる。二つの魂は、朽ちぬ檻の中で、荊に囚われ続ける。
 八古部やこべはその場に崩れ落ちた。


 地に伏した吸血鬼が嗤う。美しい、実に素晴らしかったと歌うようにその賞賛を響かせながら。
「せっかく譲ってやったのに、南場。この返しはさすがだ、な」
 八古部やこべはもう銃など拾わなかった。まだ息のある吸血鬼、楠城くすのきの方へ、痛む肩を押さえながら、ゆっくりと確実に近づいていく。
 八古部やこべの腕が歪に変形していった。人間ではない、うごめく体の一部を楠城くすのき目がけて、振り下ろす。
 風が八古部やこべのそばを抜けていった。楠城くすのきが行った方へは、血が落ちていない。
 ──吸血鬼は瞬間的に傷を完治させた、ということだ。
 傷を治すにはそれだけの吸血量が要る。負傷した吸血鬼は短時間のうちに傷をすべて治してしまった。もう吸血の残量はないに等しい。
 吸血による一時的な制約の解除、日光への耐性は、失せたはずだ。耐性のない吸血鬼は、日の下へは出れまい。
 彼は無言のまま振り向き、楠城くすのきが逃げた方へ、歩いていく。
 出口は一つしかない。今は昼間だ。日の光は吸血鬼にとって地獄の業火でしかない。八古部やこべは無感情のまま、楠城くすのきを追った。
「やはり夜は檻でしかなかった」
 楠城くすのきがひらりと舞い上がり、日の下へ躍り出た。
「日の下でこそ、真の自由を全身に感じられる」
 楠城くすのきの全身から、炎が上がる。彼は笑って手を広げていた。
「お前は来ないのか? それとも、もう来られなくなった・・・・・・・・のか?」
 八古部やこべは腕を押さえ、入り口の影から外へ出ようとしない。
 「歓迎しよう、同胞よ。果てでまたな」と楠城くすのきの体が燃え尽きる。灰が舞い散る。
 悪人は地に落ちるというのに、天が身軽になった彼を空へ連れ去ってしまった。


 星が空に瞬いている。八古部やこべ 純持じゅんじは土手でひざを抱え、縮こまりながら夜空を見上げていた。
「すみもっちーだ。またこんな夜遅くに」
「赤矢こそ。帰りが遅いのか?」
「俺はいいんですよ。早く一課に行きたいから多少は無茶しねぇと」
 赤矢はドカリと八古部やこべの隣に腰を下ろしたが、「さすがに今日は全身にキてますけどな」とすぐに仰向けに転がってしまう。
「俺のこと、変だと思わないのか?」
「変な奴なんていっぱいいるからいーんスよ。それに俺は刑事だから、変な奴とか最初から決めつけねー主義」
「俺は……夜の取り締まりの仕事をしている。気味悪がられることが多い。煙たがられるのが、日常だ」
「夜勤ぐらいでガタガタ抜かす連中とはつるまなきゃいいんスよ」
 八古部やこべは寝転がる赤矢を見る。彼は刑事で常にスーツ姿だ。
 比べて八古部やこべは白い衣服と十字架の着用を強制されている。頭がおかしいコスプレ警官、捜査の常識も知らない部外者などと彼が罵られることも数知れず。
「大体、なんで取り締まりやるような同業者がはなからけん制し合うんだよ、バカかっての」
 「南場さんなら絶対、やんねぇーよな」と赤矢はつぶやき、「やっべ、また敬語外れてた」と頬をもんでいた。
「赤矢は、よく南場の話をするが、会ったことがあるのか」
「俺が警官になったばかりの腰抜けだったときに世話になった人。俺の憧れ」
 八古部やこべは項垂れた。憧れという感情を彼が向けられることはまずない。憧れや敬いといった行為は、人間が人間に向けるものであるからだ。
 八古部やこべが取り締まる対象は人間ではない。人ならざる妖力を持ち、生き血を啜る吸血鬼だ。
 吸血鬼を狩るために、八古部やこべは人間の一部を捨てていた。徐々に活動時間が日の落ちる頃に限られるようになってしまう制約があり、いずれヒトではなくなっていくリスクはあったが、吸血鬼と渡り合うには、人間をやめるしか方法はなかった。
 その体を受け入れたときに明かされた事実も相まって、八古部やこべは、自らを外道だと蔑んでいた。
 尊厳とは人間に対して与えられるもの。八古部やこべはそう理解していた。
「おぉ。なんかホワイトのボディでかっちょいい銃」
 赤矢が八古部やこべの銃を手で回していた。
「いつの間に、取ったんだ?」
「俺、手癖が悪くて」
 赤矢は悪びれず、そう口にしながら、弾倉から弾を取り出し、「見たことないタイプだな」と眺めていた。
「一つ、やろうか?」
 八古部やこべはそう言っておいて、驚きで目を見張った。
「なんかご利益あります?」
「まぁ、魔除けとか」
「じゃあ、もらう。ありがとな」
 赤矢はスーツのポケットに弾を押し込んでしまった。
「あー、でもこれもらったら、俺、怒られっかな」
「俺の拳銃は銃弾の管理はないんだ。魔除けのために、意図的に銃弾を置いていくこともあるから」
「そっか。じゃあ、俺も魔除けってことで。サンキュー」
「そんなに簡単に信じて……くれるのか?」
 頭に腕を組み直し、あくびをかく赤矢に、八古部やこべは目を見張った。
「だって、八古部やこべは友だちだろう?」
 赤矢は、八古部やこべを信じてくれた。最後まで。彼が必ず、魔除けの銃弾の痕跡を追って、犯人へ辿り着くと。
 八古部やこべは友の信用に応えられない。
 夜を待ってから、彼は吸血鬼の住処を燃やし尽くした。
 花になる素質のある人間ごと焼き払ってしまった言いわけはどうとでもなるが。
 八古部やこべは焼け跡に背を向けた。
 友を襲った仇を満足に討てず、八古部やこべはやり切れない気持ちを抱えたまま、病室を訪れる。
 いくつもの管につながれ、目を閉じたままの人間がベッドに横たわっている。患者のネームプレートには、赤矢あかや 隆次りゅうじと書かれている。
「すまない、赤矢」
 八古部やこべはベッドの前で崩れ落ちて嘆いた。
「俺にはできない。許してくれ」
 八古部やこべは許しを乞うた。
「君は俺のこと、信じてくれたのに。俺は君を救ってやれない」
 吸血鬼を退治するために、八古部やこべの体は、人間でないもの──吸血鬼の能力を一部、受け入れていた。
 その身に宿した人ならざるものが、日に日に彼の体を蝕んでいく。他者の血液の摂取を受け入れず、自己の血液で循環を補うのみである彼は、日光への耐性が失せていく弊害を負っていた。
 しかし吸血鬼には、性行為によって対象に精気を分け与え、花嫁として生かし、愛し合い、そばに置くことができる力がある。
 また、眷属を作り、死にゆく存在をこの世に繋ぎ止め、服従させることができる能力もある。対象の血液を吸い尽くし、自らの血を与えてしまえばいい。
 そして、魂自体を縛りつけ、永遠に離れられないよう、契約を結んでしまう力、荊の冥約もあった。
 八古部やこべ篠垣ささがきと南場の二人の行為を目の当たりにしてしまった。彼らは荊によって、生まれ変わっても離れることはできなくなった。
 目覚めない赤矢を救う方法がいくつも転がっている。だが、八古部やこべにはそれができない。
「吸血鬼にひどい目に遭わされた君を残酷な運命に落としたくないんだ。分かってくれ」
 吸血鬼の能力を使って、赤矢を救う。八古部やこべはそれだけはどうしても、したくなかった。
 聖職者たちは吸血鬼を殺すために、有効な材料を見つけてしまった。それは吸血鬼が花嫁としたものだった。
 吸血鬼の花嫁は、吸血鬼から離されると植物化していった。次第に白い花を咲かせ、朽ちる。その白い花は吸血鬼の動きを鈍らせる。聖職者たちは、これを武器の原料としていった。
 花嫁の最上位種──荊で結ばれたものは、極上の材料だった。吸血鬼に致命傷を与える。
 だからこそ、聖職者たちは吸血鬼たちを根絶やしにしなかった。花嫁──材料が整うまで、吸血鬼との関係を許し、監視下に置き、のちに奪い、魔除けの檻に閉じ込め、日光にさらす。
 なかでも力の強い吸血鬼は、意図して野放しにされていた。楠城くすのきもその一人。
 手を出してはならないものを追いつめ、保護すべきだった花嫁──材料も燃やしてしまった。
 裏切り行為はすぐに知れ渡るだろう。吸血鬼に捕らわれながらも解放された赤矢も、花嫁化を疑われ、狙われる。
 赤矢が目覚めても、吸血鬼を知ってしまった彼は、吸血鬼を追い、いつか花嫁とされてしまうかもしれなかった。
「君が目を覚まさなくても、俺が君を守り通すから」
 八古部やこべは立ち上がり、何も反応を返さない赤矢を見下ろす。
 災厄を鎮める立場にありながら、それを野放しにして、人間を材料にし、力を得ている、軽蔑されるべき、聖職者。そんな八古部やこべを赤矢は友だちだと言った。
 話をしてくれた。目を合わせてくれた。最初から気味悪いと突き放さなかった。
 八古部やこべにとって、赤矢は救いだった。だからこそ。
 ──誰にも、奪わせたくない。
 『もう誰にも奪わせない』と言った南場の言葉が響く。
 八古部やこべはハッとして、自分の手を見た。その手で幾度も、吸血鬼が愛した花嫁を奪ってきた。愛するものを、大切なものを、無理やり取り上げてきたのだ。
『すみもっちー、人間嫌いオーラ出しすぎなんじゃないですか?』
 人ならざる一部を身に宿した日に知った、花化した人間を武器に使用しているおそろしい事実。人間でありながら、人間を貪る、そんな人間がきらい。
『俺、そんな風に見えるのか?』
『まぁ、話を聞くかぎりだと、嫌いになっても仕方ないなって思いますけど』
 きらい。人間を救おうとしながら、吸血鬼に襲われた人間を見放す人間が。
『俺たち、ダチなんだから、愚痴でも本音でも言いたいことは言い合えばいいんスよ』
 ──本音。赤矢以外の人間は、きらい。
 赤矢に繋がれていた管がすべて弾け飛んだ。警告音が鳴り響く。
 八古部やこべは迷わず、眠る赤矢を抱き上げた。胸にその温もりを抱え、行方を眩ました。


 ※この物語はフィクションです。犯罪行為を助長、賛美するものではありません。銃や銃弾の譲渡や廃棄には法的な手続きが必要です。


「黒き荊の檻」

著者:兎守 優(旧:内山)
公開日:2023年11月15日

この物語はフィクションです。
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